武田信玄・徳川家康の家臣として

天文14年(1545)、猿楽師の次男として生まれた長安は、甲斐国にて武田信玄に見出され、士分として武田家に仕え、民政や農政に従事しました。武田家滅亡後は、徳川家康に仕えますが、家康の重臣である大久保忠隣に庇護を受け、信任を得て、姓が「大久保」となります。家康支配下の甲斐国にて、民政のみならず幅広い分野で成果を挙げ、家康から高い評価を受けていました。

大久保 長安の経緯
1545 天文14年 猿楽衆大蔵太夫の次男として生まれる
1573 元亀4年 このころ信玄の家臣となる
1582 天正10年 甲斐武田氏が滅亡
1590 天正18年 八王子城落城、徳川家康江戸入城、長安も家康に従う
1591 天正19年 多摩をはじめ周辺地域の検地を行う、髙尾山薬王院に禁制を出す
1592 文禄元年 八王子小門陣屋竣工、八王子のまちが元八王子から現在の場所に移る
1600 慶長5年 同心衆を千人とする(八王子千人同心のはじまり)関ヶ原の合戦で徳川秀忠に従い出陣、大和国の総代官に任ぜられる
1601 慶長6年 伊奈忠次らと東海道の整備を行い宿場を整える、石見銀山の奉行 となる、岐阜の総代官にも任命される
1603 慶長8年 家康が征夷大将軍に。佐渡一国を支配する、信濃の川中島藩の付家老を兼任、 官途名を「石見守」とする、東海道などに一里塚をつくる
1605 慶長10年 このころから家康の年寄衆として全国支配の基盤固めの諸政策を 行っている
1607 慶長12年 角倉了以を京から招聘して富士川の開発を行う
1610 慶長15年 福島藩(のちの高田藩)の付家老に就任
1613 慶長18年 駿府の地で中風により死去(69歳)

長安が行った八王子の町づくり

天正18年(1590)、秀吉の命により関東に国替えになった家康に付き従い、武蔵横山領(八王子市)を中心とした幕府直轄地を統治しました。宿場の造成により、町を急速に発展させ、また、町の治安維持のために千人同心を組織しました。江戸を守る西の拠点として、八王子の新たな町づくりを行ったとされています。また、代官頭として関東一帯の統治も行い、検地や新田開発、寺社支配等、長安の活躍は多岐に渡ったと言われています。

各地での長安の活躍

慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦に従軍、食糧・武器・弾薬輸送などの後方支援や戦後処理に活躍しました。家康の天下統一後も全国をまたにかけて手腕を振るいますが、中でも石見・佐渡・伊豆の鉱山奉行としての活躍は目覚ましく、これにより幕府の財政基盤は整えられました。さらに山林の管理による町づくりの基礎となる大量の木材の供出など、徳川幕府の礎となる働きをしました。

参考文献:はちとぴNO.21